都筑郡の小字

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収録範囲の現在の行政区域:川崎市麻生区、横浜市保土ケ谷区、横浜市旭区、横浜市港北区、横浜市緑区、横浜市都筑区、横浜市青葉区

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万福寺村^

まんぷくじ — (行)柿生村 — (現)川崎市麻生区

「柿生岡上組合村地番反別入地図(大日本帝国市町村地図刊行会、S5)」を基に記載。
小字名 読み 備考
一号

江戸期の字名・小名

【新編武蔵風土記稿(文政13=1830)】
長坂、神川、池尻、笹合
【旧検地帳(神奈川県都筑郡万福寺村地誌(M21=1888、「柿生の皇国地誌と地誌」所収)より)】
稗田、矢崎、陣川、池尻、堂ノ前、堂ノ入、長坂、笹合、屋敷内、志満崎、打越、ちう、かいと
【神奈川県都筑郡万福寺村地誌(M21=1888、「柿生の皇国地誌と地誌」所収)】
〔一号〕稗田、矢崎、陣川、池尻、堂ノ前、堂ノ入、長坂、笹合、屋敷内、志満崎、打越、ちう、かいと

三反田村^

さんたんだ — (行)二俣川村 — (現)横浜市旭区

「都筑郡二俣川村全略図(S5、「私たちの万騎が原(横浜市立万騎が原小学校、S60)」所収)」、「登記所備付地図データ(横浜地方法務局旭出張所、2022)」および「横浜市三千分一地形図画像(横浜市、昭和初期〜昭和30年代)」により記載。字稲荷田、字助右衛門、字三ツ合、字白根向は所在不明。
小字名 読み 備考
中丸
原通リ
橋戸
長谷戸

上川井村^

かみかわい — (行)都岡村 — (現)横浜市旭区

「都筑郡都岡村全略図(S6、「都岡村の今と昔(牧田修俊・萩野則之、2011)」所収)」、「登記所備付地図データ(横浜地方法務局旭出張所、2022)」および「横浜市三千分一地形図画像(横浜市、昭和初期〜昭和30年代)」により記載。
小字名 読み 備考
中田谷
坂下谷
堀谷
堂谷
大東耕地
大竹谷
大貫谷
市坂
日原耕地
日向根山
東根谷
笹峯
細谷
西ノ谷
露木谷
高山

上猿山村^

かみさるやま — (行)新治村 — (現)横浜市緑区

「都筑郡新治村全略図(「都筑の皇国地誌草稿と字地書上(緑区郷土史研究会、1982)」所収、原資料は「新治村 地番反別地目入図(S5)」)」、「登記所備付地図データ(横浜地方法務局緑出張所、2022)」および「横浜市三千分一地形図画像(横浜市、昭和初期〜昭和30年代)」により記載。
小字名 読み 備考
仲ノ町
広地

上白根村^

かみしらね — (行)都岡村 — (現)横浜市旭区

「都筑郡都岡村全略図(S6、「都岡村の今と昔(牧田修俊・萩野則之、2011)」所収)」、「登記所備付地図データ(横浜地方法務局旭出張所、2022)」および「横浜市三千分一地形図画像(横浜市、昭和初期〜昭和30年代)」により記載。飛地は字名不明。
小字名 読み 備考
三谷
おもて
大原
大池上
小池
平たいら
後谷
稲荷
谷戸
長坂

上菅田村^

かみすげだ — (行)新治村 — (現)横浜市保土ケ谷区

「都筑郡新治村全略図(「都筑の皇国地誌草稿と字地書上(緑区郷土史研究会、1982)」所収、原資料は「新治村 地番反別地目入図(S5)」)」、「登記所備付地図データ(横浜地方法務局神奈川出張所、2022)」および「横浜市三千分一地形図画像(横浜市、昭和初期〜昭和30年代)」により記載。
小字名 読み 備考
七里堀
仲田
山崎
笹山
苅又
金草沢

上谷本村^

かみやもと — (行)中里村 — (現)横浜市青葉区

「中里村地番反別入地図(大日本帝国市町村地図刊行会、S5)」を基に記載。
小字名 読み 備考
六郎師
八幡谷
和田
宮ノ下
尾崎
川向
川間
広町
後谷
東谷
池谷

江戸期の字名・小名

【新編武蔵風土記稿(文政13=1830)】
和田下、トフノ下、池ノ谷、尾ノ尻、柳畠、東谷、タイシノ谷、西行谷、宮ノ下、尾崎、島根、五領、ウハ谷、番匠谷、金子塚

上麻生村^

かみあさお — (行)柿生村 — (現)川崎市麻生区

「柿生岡上組合村地番反別入地図(大日本帝国市町村地図刊行会、S5)」を基に記載。
小字名 読み 備考
亀井
仲村
大ヶ谷戸
山口
白根

江戸期の字名・小名

【新編武蔵風土記稿(文政13=1830)】
中下、山口、大ヶ谷、竹ノ花、宿地、亀井

下川井村^

しもかわい — (行)都岡村 — (現)横浜市旭区

「都筑郡都岡村全略図(S6、「都岡村の今と昔(牧田修俊・萩野則之、2011)」所収)」、「登記所備付地図データ(横浜地方法務局旭出張所、2022)」および「横浜市三千分一地形図画像(横浜市、昭和初期〜昭和30年代)」により記載。飛地の字名は周囲の字名から推測。
小字名 読み 備考
五反田
八ツ塚
下宿
吉祥山
吹上
塚松
大野
天野
宿
宿東
富士塚
広町
御殿丸
相州境出典の表記は「相刕境」
矢向
矢場
矢指
笹山
笹峯
追分
金ヶ谷

下猿山村^

しもさるやま — (行)新治村 — (現)横浜市緑区

「都筑郡新治村全略図(「都筑の皇国地誌草稿と字地書上(緑区郷土史研究会、1982)」所収、原資料は「新治村 地番反別地目入図(S5)」)」、「登記所備付地図データ(横浜地方法務局緑出張所、2022)」および「横浜市三千分一地形図画像(横浜市、昭和初期〜昭和30年代)」により記載。
小字名 読み 備考
三反町
平台
打越
石上
西ノ下
高倉

下白根村^

しもしらね — (行)都岡村 — (現)横浜市旭区

「都筑郡都岡村全略図(S6、「都岡村の今と昔(牧田修俊・萩野則之、2011)」所収)」、「登記所備付地図データ(横浜地方法務局旭出張所、2022)」および「横浜市三千分一地形図画像(横浜市、昭和初期〜昭和30年代)」により記載。
小字名 読み 備考
五町歩
十六町歩
不動丸
寺ノ下
島越
愛宕
日影
谷戸
金草沢
鍛冶久保

下谷本村^

しもやもと — (行)中里村 — (現)横浜市青葉区

「中里村地番反別入地図(大日本帝国市町村地図刊行会、S5)」を基に記載。
小字名 読み 備考
三ヶ塚
九段目
上耕地
仲居
宮ノ谷
宮前
桑原
神明谷
稲田
細木谷

江戸期の字名・小名

【新編武蔵風土記稿(文政13=1830)】
大山、八段田、溝向、安藤前、会下谷(エケヤツ)、細木谷、負金、後谷、狐谷、桑原谷、平塚

下麻生村^

しもあさお — (行)柿生村、中里村 — (現)川崎市麻生区、横浜市青葉区

「柿生岡上組合村地番反別入地図(大日本帝国市町村地図刊行会、S5)」を基に記載。
小字名 読み 備考
入生
国領
押切
日枝
柳里
篭口
花島
踊場

江戸期の字名・小名

【新編武蔵風土記稿(文政13=1830)】
子ノ神、島、青戸袋、並木、塚畑、ロフ口、オドリバ、入生
【旧検地帳(神奈川県都筑郡下麻生村地誌(M21=1888、「柿生の皇国地誌と地誌」所収)より)】
籠口、儀右衛門前、陣屋、台、原、谷、柳田、ヲンマハシ、青戸袋、嶋、押切、金衛前、踊場、入生、子ノ神、国領、川堰

中山村^

なかやま — (行)新治村 — (現)横浜市緑区

「都筑郡新治村全略図(「都筑の皇国地誌草稿と字地書上(緑区郷土史研究会、1982)」所収、原資料は「新治村 地番反別地目入図(S5)」)」、「登記所備付地図データ(横浜地方法務局緑出張所、2022)」および「横浜市三千分一地形図画像(横浜市、昭和初期〜昭和30年代)」により記載。
小字名 読み 備考
前河内
向河内
宮下
宿
御嶽前
戸土谷
数沢
池谷
第六天
落合河内
飯綱下

久保村^

くぼ — (行)新治村 — (現)横浜市緑区

「都筑郡新治村全略図(「都筑の皇国地誌草稿と字地書上(緑区郷土史研究会、1982)」所収、原資料は「新治村 地番反別地目入図(S5)」)」、「登記所備付地図データ(横浜地方法務局緑出張所、2022)」および「横浜市三千分一地形図画像(横浜市、昭和初期〜昭和30年代)」により記載。
小字名 読み 備考
仲通
南谷
大上
大谷
天神前
宮根
杉沢
東谷
稲荷谷
西ノ谷

二俣川村^

ふたまたがわ — (行)二俣川村 — (現)横浜市旭区

「都筑郡二俣川村全略図(S5、「私たちの万騎が原(横浜市立万騎が原小学校、S60)」所収)」、「わたしたちの町の歴史(横浜市立東希望が丘小学校、S62)」、「登記所備付地図データ(横浜地方法務局旭出張所、2022)」および「横浜市三千分一地形図画像(横浜市、昭和初期〜昭和30年代)」により記載。村内に存在する他村の飛地は一部所属不明(小高新田か)。明治初年に岡津新田、密経新田、本宿新田を編入。
小字名 読み 備考
三ツ又
三ツ経
四ツ田
四方坂
上春ノ木
上田
下之町図中の表記は「下ノ町」
下川
下春ノ木
中ノ原
中丸
中沢
丸山
今宿
仲道
内田
出苅場
切割
北中尾
半ヶ谷
南中尾
又口
古賀屋敷
善部
土橋
壱里山
大下
大宮沢
大籔
姥屋敷
屋敷上
山王塚
打越
新田耕地
日影
明神下
春木台図中の表記は「春之木䑓」
本村
柏葉谷
梅木谷戸
池下
池田
浄満谷
清水谷
牧ノ内
犬山
神奈川坂
神明前
蔵屋敷
西ノ谷戸
都子塚
野中
長堀

五力田村^

ごりきだ — (行)柿生村 — (現)川崎市麻生区

「柿生岡上組合村地番反別入地図(大日本帝国市町村地図刊行会、S5)」を基に記載。
小字名 読み 備考
大台
小台

江戸期の字名・小名

【新編武蔵風土記稿(文政13=1830)】
※「伍力田村」
赤セキ、六所谷、諏訪谷

今井村^

いまい — (行)二俣川村 — (現)横浜市保土ケ谷区

「都筑郡二俣川村全略図(S5、「私たちの万騎が原(横浜市立万騎が原小学校、S60)」所収)」および「横浜市三千分一地形図画像(横浜市、昭和初期〜昭和30年代)」により記載。
小字名 読み 備考
たに谷
入之谷図中の表記は「入ノ谷」
大上
大久保
根下
狐谷
美立谷
芦ノ谷

今宿^

いまじゅく — (行)都岡村 — (現)横浜市旭区

「都筑郡都岡村全略図(S6、「都岡村の今と昔(牧田修俊・萩野則之、2011)」所収)」、「登記所備付地図データ(横浜地方法務局旭出張所、2022)」および「横浜市三千分一地形図画像(横浜市、昭和初期〜昭和30年代)」により記載。明治初年に鶴ヶ峯新田を編入。
小字名 読み 備考
中沢
丸山
前山
大平
日影
神成谷
神明前
筑池
箒沢
築野
耕地
越巻
金ヶ谷
鶴ヶ峰

佐江戸村^

さえど — (行)新田村 — (現)横浜市都筑区

旧公図および「登記所備付地図(横浜地方法務局港北出張所、2022)」により記載。一部、「横浜市三千分一地形図画像(横浜市、昭和初期〜昭和30年代)」および地図・空中写真閲覧サービスを参照。
小字名 読み 備考
下耕地
出崎
加賀原
大坂台
大峯
大畑
大道下
宮田
山王前
杉崎
清水場
芝間
落合
長谷

勝田村^

かちだ — (行)中川村 — (現)横浜市都筑区

「都築の民俗:横浜市港北ニュータウン郷土誌(港北ニュータウン郷土誌編纂委員会、1989)」(原資料は「都筑郡中川村全図(T13)」)および「横浜市三千分一地形図画像(横浜市、昭和初期〜昭和30年代)」により記載。一部、地図・空中写真閲覧サービスおよび「登記所備付地図(横浜地方法務局港北出張所、2022)」を参照。
小字名 読み 備考
丸沢
出口
宮下
権田
蛇山

江戸期の字名・小名

【新編武蔵風土記稿(文政13=1830)】
野ノ中、出口、金子田、権太、蛇山、籠場、九平坂、丸沢、桑ノ木畑、井戸尻、杉下、ハカンドウ、マツ場、ヒルクヒ場、十三坊塚、間谷

北八朔村^

きたはっさく — (行)中里村 — (現)横浜市青葉区

「中里村地番反別入地図(大日本帝国市町村地図刊行会、S5)」を基に記載。「西八朔分」表記の元飛地を多く含む。
小字名 読み 備考
天神鼻
山下
岩瀬
柳森
榎木谷
構之内
江古田
石橋
谷津田原
鹿子島

江戸期の字名・小名

【新編武蔵風土記稿(文政13=1830)】
谷津田原、クボ田、カノコ島、佐牟佐井、竹ノハナ、天神木、榎谷戸、森、柳町、蔵ノ下、岩瀬

十日市場村^

とおかいちば — (行)新治村 — (現)横浜市緑区

「都筑郡新治村全略図(「都筑の皇国地誌草稿と字地書上(緑区郷土史研究会、1982)」所収、原資料は「新治村 地番反別地目入図(S5)」)」、「登記所備付地図データ(横浜地方法務局緑出張所、2022)」および「横浜市三千分一地形図画像(横浜市、昭和初期〜昭和30年代)」により記載。
小字名 読み 備考
中丸
中山谷
中里
夫婦坂
広町
後谷
石田
神明下
笹山
細谷
西田
象ヶ谷
鉄谷
霧ヶ谷
馬場坂

古沢村^

ふるさわ — (行)柿生村 — (現)川崎市麻生区

「柿生岡上組合村地番反別入地図(大日本帝国市町村地図刊行会、S5)」を基に記載。
小字名 読み 備考
都古

江戸期の字名・小名

【新編武蔵風土記稿(文政13=1830)】
神川、大久保
【神奈川県都筑郡古沢村地誌(M21=1888、「柿生の皇国地誌と地誌」所収)】
〔都古〕堤下、陣川、花ノ木、後田、後田原、瀧澤、大久保、押込、陣川谷、腰巻、塚戸、天神前、四ツ田、仲田、東ノ前、流ノ内、前田、向田、寺ノ下、寺谷、入定塚、上畑、談義橋、間ヶ戸、谷、古屋敷、宮ノ脇、熊沢、瀧澤谷

台村^

だい — (行)新治村 — (現)横浜市緑区

「都筑郡新治村全略図(「都筑の皇国地誌草稿と字地書上(緑区郷土史研究会、1982)」所収、原資料は「新治村 地番反別地目入図(S5)」)」、「登記所備付地図データ(横浜地方法務局緑出張所、2022)」および「横浜市三千分一地形図画像(横浜市、昭和初期〜昭和30年代)」により記載。
小字名 読み 備考
中ノ谷
中村
信濃谷
大谷
往還下

吉田村^

よしだ — (行)新田村 — (現)横浜市港北区

「神奈川県都筑郡新田村地番反別地目入図(日本全国市町村地番入地図刊行会、S4)」および「横浜市三千分一地形図画像(横浜市、昭和初期〜昭和30年代)」により記載。一部、地図・空中写真閲覧サービスを参照。土地宝典にある字堤外は所在不明。
小字名 読み 備考
四ツ谷
四ツ谷前
クヾ田
中里
北川
宮之原
川向
御霊
杉山
東前
神隠
裏土腐「裏トブ」表記もあり
西
貝塚前
高田前

大場村^

おおば — (行)中里村 — (現)横浜市青葉区

「中里村地番反別入地図(大日本帝国市町村地図刊行会、S5)」を基に記載。
小字名 読み 備考
下原
子ノ神
富士塚
引田
矢耕地
稲荷前
衛門ヶ谷

江戸期の字名・小名

【新編武蔵風土記稿(文政13=1830)】
九郎次山、堂下、寺下、ヲツコシ谷、引田、明喜谷、山伏堂、衛門谷、大名藪
【皇国地誌 字地書上(「都筑の皇国地誌草稿と字地書上」所収)】
〔前〕前、中の谷、惣左衛門屋敷、山伏堂、打越谷、神明下、権三郎谷
〔子の神〕子の神、花の木、盗人谷戸、蔵谷、明喜谷
〔引田〕引田、おね、古池谷、大谷
〔富士塚〕富士塚、蛇久保、下原
〔衛門ヶ谷〕衛門ヶ谷、多良ヶ谷、九郎次山、千両屋敷、長久保、原坂の台、車塚
〔下原〕下原、新田、平台、助四郎原
〔稲荷前〕稲荷下、藤三ヶ谷、寺下、御林、下相田、五郎助谷戸
〔矢耕地〕矢耕地

大棚村^

おおだな — (行)中川村 — (現)横浜市都筑区

「都築の民俗:横浜市港北ニュータウン郷土誌(港北ニュータウン郷土誌編纂委員会、1989)」(原資料は「都筑郡中川村全図(T13)」)および「横浜市三千分一地形図画像(横浜市、昭和初期〜昭和30年代)」により記載。一部、地図・空中写真閲覧サービスを参照。
小字名 読み 備考
中村
中耕地
大塚
宿之入
山崎
才勝土
杉之森
池田
烏山
矢東
老馬
鍛冶山
鵜之目

江戸期の字名・小名

【新編武蔵風土記稿(文政13=1830)】
牢場、磔場、シヤウジン場、宿ノ入谷、矢崎、中村、堂谷、清水谷、マセ口、鵜目、矢ノ谷

大熊村^

おおくま — (行)新田村 — (現)横浜市都筑区

旧公図および「登記所備付地図(横浜地方法務局港北出張所、2022)」により記載。一部、「横浜市三千分一地形図画像(横浜市、昭和初期〜昭和30年代)」および地図・空中写真閲覧サービスを参照。
小字名 読み 備考
上川根
下土腐
下川根
仲町
大谷
宮原

奈良村^

なら — (行)田奈村 — (現)横浜市青葉区

「田奈村地番反別地目入図(大日本帝国市町村地図刊行会、S5)」を基に記載。
小字名 読み 備考
助太郎
北ヶ谷
受地
土橋
地蔵堂
大幡
大幡谷
太田平
宮ノ谷
市ヶ窪
杉山
油戸
熊ヶ谷戸
神戸
竈谷
細谷
西ヶ谷
請地
長谷戸
駒狩

江戸期の字名・小名

【新編武蔵風土記稿(文政13=1830)】
熊ヶ谷、長谷、ハシ戸、市ノ窪、イヤヒ、堂前、クラボ子、地蔵堂、太田平、カタ田、コマカリ田、品ノ入、ガウドウ、烏ヶ谷、浄土松、油ト谷、花タテ
【皇国地誌 字地書上(「都筑の皇国地誌草稿と字地書上」所収)】
〔神戸谷〕神戸谷、関場
〔油戸谷〕油戸谷
〔大畑谷〕竃谷、耕地
〔土橋〕土橋、土三谷
〔大田平〕大田平、古屋敷
〔駒狩谷〕駒狩谷、助次郎谷、太山
〔地蔵堂谷〕地蔵堂谷、糀屋谷、倉ホ子
〔長谷〕長谷、池谷
〔熊ヶ谷〕熊ヶ谷
〔南〕南、耳屋敷、大谷
〔宮ノ谷〕宮ノ谷、稗田ヶ谷、荒屋敷、六本松

寺家村^

じけ — (行)中里村 — (現)横浜市青葉区

「中里村地番反別入地図(大日本帝国市町村地図刊行会、S5)」を基に記載。
小字名 読み 備考
下河内
中耕地
坂下
堰下
寺前
小金松
居谷戸
山田谷
新地
東前
橋戸
河内
谷戸郷
門先
附屋敷

江戸期の字名・小名

【新編武蔵風土記稿(文政13=1830)】
山田谷、弥二郎谷、熊野谷

寺山村^

てらやま — (行)新治村 — (現)横浜市緑区

「都筑郡新治村全略図(「都筑の皇国地誌草稿と字地書上(緑区郷土史研究会、1982)」所収、原資料は「新治村 地番反別地目入図(S5)」)」、「登記所備付地図データ(横浜地方法務局緑出張所、2022)」および「横浜市三千分一地形図画像(横浜市、昭和初期〜昭和30年代)」により記載。
小字名 読み 備考
上原
中原
中尾台
本谷
本谷奥
河内
滝谷
長坂谷

小山村^

こやま — (行)中里村 — (現)横浜市青葉区

「中里村地番反別入地図(大日本帝国市町村地図刊行会、S5)」を基に記載。
小字名 読み 備考
上耕地
下河内
下耕地
仲村
半縄田
山下
鳥居戸

江戸期の字名・小名

【新編武蔵風土記稿(文政13=1830)】
下河内、琵琶首、ソリ町、高島、柳田、池ノ下、鳥居戸、久保田、半縄田

小高新田^

おたかしんでん — (行)二俣川村 — (現)横浜市旭区

「都筑郡二俣川村全略図(S5、「私たちの万騎が原(横浜市立万騎が原小学校、S60)」所収)」、「わたしたちの町の歴史(横浜市立東希望が丘小学校、S62)」、「登記所備付地図データ(横浜地方法務局旭出張所、2022)」および「横浜市三千分一地形図画像(横浜市、昭和初期〜昭和30年代)」により記載。字星谷戸、字狐谷戸、字鹿子谷戸、字中丸、字千駄丸は所在不明。
小字名 読み 備考
中丸
中尾
丸山
出苅場
姥屋敷
宮沢
密経
小中丸
梶山
片平山
猫丸

山田村^

やまた — (行)中川村 — (現)横浜市都筑区

「都築の民俗:横浜市港北ニュータウン郷土誌(港北ニュータウン郷土誌編纂委員会、1989)」(原資料は「都筑郡中川村全図(T13)」)および「横浜市三千分一地形図画像(横浜市、昭和初期〜昭和30年代)」により記載。一部、地図・空中写真閲覧サービスを参照。
小字名 読み 備考
西

江戸期の字名・小名

【新編武蔵風土記稿(文政13=1830)】
徳持、堀ノ内、松崎、宮ノ下、下根、殿谷、日面、城山、日影谷、瀧ヶ谷、二十歩谷、尻無谷、芝生谷、中井坂谷、打越谷、重代谷、寺窪谷、網笠谷、二十三夜谷、クヅカ堤、コム谷

岡上村^

おかがみ — (行)岡上村 — (現)川崎市麻生区

「柿生岡上組合村地番反別入地図(大日本帝国市町村地図刊行会、S5)」を基に記載。字川井田下は「住居表示新旧対照案内図 N0.109(川崎市、R3)」による。
小字名 読み 備考
丸山
天神谷戸
宝殿
小塚
川井田
川井田下
川内
杉山
杉山下
栗畑
梨子ノ木
池谷戸
自正寺
開戸

江戸期の字名・小名

【新編武蔵風土記稿(文政13=1830)】
自性寺谷、セイノ堂、関村、川井田、阿部ノ原
【神奈川県都筑郡岡上村地誌(M21=1888、「柿生の皇国地誌と地誌」所収)】
〔川内〕川内
〔開戸〕開戸、下田
〔宝殿〕宝殿
〔関〕関
〔川井田下〕川井田下、定金作
〔川井田〕川井田
〔自正寺〕自正寺、赤松
〔丸山〕清ノ堂、宮ノ下
〔栗畑〕栗畑、阿部ノ原
〔池ノ谷戸〕池ノ谷
〔天神谷〕天神谷
〔梨ノ木〕梨ノ木
〔小塚〕小塚、検見松
〔杉山下〕杉山下、五兵衛坂、大坂山
〔杉山〕杉山

川井村^

かわい — (行)都岡村 — (現)横浜市旭区

「都筑郡都岡村全略図(S6、「都岡村の今と昔(牧田修俊・萩野則之、2011)」所収)」、「登記所備付地図データ(横浜地方法務局旭出張所、2022)」および「横浜市三千分一地形図画像(横浜市、昭和初期〜昭和30年代)」により記載。一部の字名は周囲の字名から推測。
小字名 読み 備考
五反田
八ツ塚
下宿
吉祥山
吹上
坂下谷
塚松
大東耕地
大竹谷
宿
宿東
富士塚
御殿丸
矢向
矢場
笹峯
露木谷

川向村^

かわむこう — (行)都田村 — (現)横浜市都筑区

「川向村全図(酒井景山、M15)」(「川向町〜まちの記憶(川向南地区土地区画整理組合、R5)」収載)により記載。
小字名 読み 備考
下之埜
原崎
吉原
大割
宮之前
左近田
松木戸
舁沼

市ヶ尾村^

いちがお — (行)中里村 — (現)横浜市青葉区

「中里村地番反別入地図(大日本帝国市町村地図刊行会、S5)」を基に記載。
小字名 読み 備考
下根
下耕地
中里
川ノ間
矢耕地
禅当寺
竹ノ下
鶴蒔
鹿ヶ谷

江戸期の字名・小名

【新編武蔵風土記稿(文政13=1830)】
谷耕地、元木、山崎、鮫畑、竹ノ下、荏橋、鹿谷、テンカ谷、川間、宮地、川袋、会下前、姥ヵ淵、西ノ城、押廻シ

市野沢村^

いちのさわ — (行)二俣川村 — (現)横浜市旭区

「都筑郡二俣川村全略図(S5、「私たちの万騎が原(横浜市立万騎が原小学校、S60)」所収)」、「登記所備付地図データ(横浜地方法務局旭出張所、2022)」および「横浜市三千分一地形図画像(横浜市、昭和初期〜昭和30年代)」により記載。
小字名 読み 備考
上桐ヶ作
下桐ヶ作
中崎
左近山
後谷
日向
神田
貫丁
追分
金子田
馬場崎

恩田村^

おんだ — (行)田奈村 — (現)横浜市青葉区

「田奈村地番反別地目入図(大日本帝国市町村地図刊行会、S5)」を基に記載。
小字名 読み 備考
三ツ田通
八石山
九郎治谷
十王堂前
万福寺前
上和田
下耕地
井戸久保
供養塚
内田
内田前
北門堰
南坂
反町通
和海道
善念寺前
喜右ヱ門原
地獄田
堀ノ内
堀ノ内前
堀込通
大寺谷
大橋場
大谷戸
富士塚
山ヶ谷
川戸
成合
日影山
早川
早川通
曲リ坂
東村
榎久保
榎田
池谷戸
沓形通
清水口
滝ヶ久保
熊ノ谷
町田川通
番匠谷
白山谷
矢際通
祭神戸
苗万坂
西ノ谷
西ヶ谷
西ヶ谷戸
赤坂
軽井沢
鍛治谷
長峰
長津田耕地
長芝原
長谷
関ヶ谷
雨堤通
餓鬼塚
馬場
麻生山

江戸期の字名・小名

【新編武蔵風土記稿(文政13=1830)】
下台、町田川、早川、馬場、禅念寺村、子ノ辺谷、堀之内、牢場、井戸窪、萬年寺谷、仏山、秀林谷、丸淵、クミカ淵
【皇国地誌 字地書上(M16=1883、「都筑の皇国地誌草稿と字地書上」所収)】
〔西之谷〕西村、西の前
〔馬場〕馬場、万福寺、万福寺前
〔東村〕東村
〔大谷〕大谷、上の台、羽山、喜右衛門原、助治谷
〔長津田耕地〕長津田耕地、北門堰、大橋場
〔下耕地〕下耕地、走り居、大松
〔川戸〕下台、小山堰
〔曲り坂〕曲り坂、菩薩講、供養塚、榎田
〔榎久保〕榎久保、摺鉢久保
〔軽井沢〕軽井沢、地獄田、中打越、打越、狭久保
〔関ヶ谷〕関ヶ谷、仏山、大原、大余
〔成合〕成合、子の神谷、祭の神戸、清高坊、会下谷、八石山
〔雨堤〕雨堤、長芝原、堀込、一本橋
〔苗万坂〕苗万坂、長谷、長峰、狐原、富士塚
〔清水口〕清水口、芦久保、赤坂堂、円谷、仏山
〔白山谷〕白山谷、万念寺、大寺谷、伜谷、入間谷、六反田
〔内田〕内田、寺谷、池谷、南坂
〔井戸久保〕井戸久保、大潰谷、七郎右衛門谷、鍛冶谷、番匠谷、九郎治谷、子之辺通、糀ヶ谷
〔堀之内〕堀之内、上和田、山王前、戌亥馬場、宮飯前、八反田
〔山ヶ谷〕山ヶ谷、寺谷、塔畢田、餓鬼塚、日影山
〔善念寺〕善念寺、善念寺前、和海道
〔早川〕早川、十王堂前、矢際、沓形
〔麻生山〕麻生山
〔町田川〕町田川、矢際、寺前、道半

成合村^

なりあい — (行)中里村 — (現)横浜市青葉区

「中里村地番反別入地図(大日本帝国市町村地図刊行会、S5)」を基に記載。
小字名 読み 備考
宮ノ下
尾崎
島田
広地
松岡
長等
雁明
高安

江戸期の字名・小名

【新編武蔵風土記稿(文政13=1830)】
尾崎、天窪、北ノ脇

折本村^

おりもと — (行)新田村 — (現)横浜市都筑区

旧公図および「登記所備付地図(横浜地方法務局港北出張所、2022)」により記載。一部、「横浜市三千分一地形図画像(横浜市、昭和初期〜昭和30年代)」および地図・空中写真閲覧サービスを参照。
小字名 読み 備考
中堀
坂ノ下
塩貝坂下
屋敷前
新宮台
新田
東原
氷川前
蛇谷
西原
観音下
観音山

新井新田^

あらいしんでん — (行)新治村 — (現)横浜市保土ケ谷区

「都筑郡新治村全略図(「都筑の皇国地誌草稿と字地書上(緑区郷土史研究会、1982)」所収、原資料は「新治村 地番反別地目入図(S5)」)」、「登記所備付地図データ(横浜地方法務局神奈川出張所、2022)」および「横浜市三千分一地形図画像(横浜市、昭和初期〜昭和30年代)」により記載。
小字名 読み 備考
千貫丸通
東大丸通
稲荷通

新羽村^

にっぱ — (行)新田村 — (現)横浜市港北区

「神奈川県都筑郡新田村地番反別地目入図(日本全国市町村地番入地図刊行会、S4)」、「登記所備付地図(横浜地方法務局港北出張所、2022)」および「横浜市三千分一地形図画像(横浜市、昭和初期〜昭和30年代)」により記載。一部、地図・空中写真閲覧サービスを参照。土地宝典にある字堤外は所在不明。
小字名 読み 備考
二反割
上堤外
上大竹
下南町
下堤外
中井下
中窪
久保谷
北ノ谷
北原
北耕地
南上町
外埜
外埜川田
大竹
大竹耕地
新田谷
梶土腐
横田
海老谷
石地
石川町
長島
間門谷

早野村^

はやの — (行)柿生村 — (現)川崎市麻生区

「柿生岡上組合村地番反別入地図(大日本帝国市町村地図刊行会、S5)」を基に記載。
小字名 読み 備考
上ノ原
中ノ谷
堺塚
富士山下
山田
広地
梅ヶ谷
矢崎前
長沢田

江戸期の字名・小名

【新編武蔵風土記稿(文政13=1830)】
龍ヶ谷、堀向、矢崎

本郷村^

ほんごう — (行)新治村 — (現)横浜市緑区

「都筑郡新治村全略図(「都筑の皇国地誌草稿と字地書上(緑区郷土史研究会、1982)」所収、原資料は「新治村 地番反別地目入図(S5)」)」、「登記所備付地図データ(横浜地方法務局緑出張所、2022)」および「横浜市三千分一地形図画像(横浜市、昭和初期〜昭和30年代)」により記載。
小字名 読み 備考
北耕地
南耕地
東耕地
西耕地

東方村^

ひがしかた — (行)都田村 — (現)横浜市都筑区

「第六大区四小区武蔵国都築郡東方村切図(明治)」、旧公図(S16写)、「東方邨全図」(「創立百周年記念誌 都田(横浜市立都田小学校、H7)」所収)により記載。一部、「横浜市三千分一地形図画像(横浜市、昭和初期〜昭和30年代)」を参照。
小字名 読み 備考
四ツ谷旧公図・東方邨全図の表記に従った。切図では「四ツ屋」「四ツ家」「よつや」
五反切図では「五𛁟(多)ん」「五たん」とも
八幡森旧公図・東方邨全図の表記に従った。切図では「八まん森」
上沢谷
中村旧公図・東方邨全図の表記に従った。切図では「なかむら」
供養塚
前耕地
原村
向原
向方旧公図では「向分」
地神山
堀込切図では「ほり込」とも
天神前
岩崎前
平台旧公図・東方邨全図の表記に従った。切図では「𛂯(飛) ら𛁟゛(多゛)𛀆(以)」「𛂯(飛)ら䑓」
新道下
新道向
星谷台旧公図の表記に従った。切図では「ほしや䑓」「ほしや𛁟゛(多゛)𛀆(以)」
東根旧公図・東方邨全図では「東」
池之下東方邨全図では「池下」
渇水沼旧公図・東方邨全図では「渇水沼道上」
渇水沼道下
狢久保旧公図では「むしな久ほ」
甚九郎台
甚九郎谷
石荒
篠山切図では「𛁈(志)𛀸(古)山」とも
篠山下
葛ヶ谷切図では「くづかやと」とも
蛇谷切図では「𛂶(遍)𛂯(飛゛)谷」「𛂶(遍)び谷」とも
蛇谷台
旧公図・東方邨全図の表記に従った。切図では「おもて」
踏鞴沢旧公図・東方邨全図の表記に従った。切図では「たゝら沢」「𛁟(多)ゝら𛀿(左)わ」
踏鞴沢台東方邨全図の表記に従った。切図では「𛁟(多)ゝら沢䑓」
長坂切図では「な𛀙゛(可゛)𛀿(左)か」とも
鬼塚旧公図・東方邨全図の表記に従った。切図では「お𛂋(尓)塚」「お𛂋(尓)𛁭゛(徒゛)か」。旧公図には「村下塚」の表記もあるが、変体仮名を誤認したものか。

栗木村^

くりぎ — (行)柿生村 — (現)川崎市麻生区

「柿生岡上組合村地番反別入地図(大日本帝国市町村地図刊行会、S5)」を基に記載。
小字名 読み 備考
一号
二号
三号
四号

江戸期の字名・小名

【新編武蔵風土記稿(文政13=1830)】
亀井
【旧検地帳(神奈川県都筑郡栗木村地誌(M21=1888、「柿生の皇国地誌と地誌」所収)より)】
亀井、金井原、団右衛門入り、深田入り、清谷、鳶谷、宮田、ひえ畑、菅沢、焼畑、マミ沢、平尾坂、小阪谷、□□入、畑谷

榎下村^

えのした — (行)新治村 — (現)横浜市緑区

「都筑郡新治村全略図(「都筑の皇国地誌草稿と字地書上(緑区郷土史研究会、1982)」所収、原資料は「新治村 地番反別地目入図(S5)」)」、「登記所備付地図データ(横浜地方法務局緑出張所、2022)」および「横浜市三千分一地形図画像(横浜市、昭和初期〜昭和30年代)」により記載。
小字名 読み 備考
大谷
旭谷
籠場
西前
鎌立
長町

池辺村^

いこのべ — (行)都田村 — (現)横浜市都筑区

「創立百周年記念誌 都田(横浜市立都田小学校、H7)」、「横浜市三千分一地形図画像(横浜市、昭和初期〜昭和30年代)」および「登記所備付地図(横浜地方法務局港北出張所、2022)」により記載。一部、地図・空中写真閲覧サービスを参照。
小字名 読み 備考
二ノ丸
三ノ丸
八所谷戸
不二塚
不動原
中星谷
中谷所
中里前
以津院下
前高山
坊方
埋田
堂之前
大丸
奥ノ谷
小丸
山王前
摺這谷
数沢
星谷
柳戸
根岸
根岸前
清水
清水上
瀧ヶ谷
耕地
葛ヶ谷
薮前
薮根
開戸
高山

片平村^

かたひら — (行)柿生村 — (現)川崎市麻生区

「柿生岡上組合村地番反別入地図(大日本帝国市町村地図刊行会、S5)」を基に記載。
小字名 読み 備考
中村通
仲町
吾妻
富士塚
日向
葉積
金井原

江戸期の字名・小名

【新編武蔵風土記稿(文政13=1830)】
寺台、赤セキ、ハツミ、天神カイト、カナイ原、セキ谷、京法台、夏刈屋
【神奈川県都筑郡片平村地誌(M21=1888、「柿生の皇国地誌と地誌」所収)】
〔葉積〕赤堰台、赤堰下、葉積谷
〔日向〕葉積谷、葉積前、久保田、天神前、大光寺前
〔中村通〕善正寺前、五反田谷、坂下、善明寺台
〔吾妻〕善明寺台、川森谷、吾妻前、亀井
〔金井原〕金井原台、富士塚
〔富士塚〕富士塚、享保台
〔中町〕中町、寺台、柿木谷

牛久保村^

うしくぼ — (行)中川村 — (現)横浜市都筑区

「都築の民俗:横浜市港北ニュータウン郷土誌(港北ニュータウン郷土誌編纂委員会、1989)」(原資料は「都筑郡中川村全図(T13)」)および「横浜市三千分一地形図画像(横浜市、昭和初期〜昭和30年代)」により記載。一部、地図・空中写真閲覧サービスを参照。
小字名 読み 備考
上小山
上金子
下小山
下金子
古梅
請地

江戸期の字名・小名

【新編武蔵風土記稿(文政13=1830)】
小梅谷、清水谷、ソウ〻谷、請地谷、熊沢谷、沖ノ谷、池ノ谷、甚蔵谷、金子入谷

王禅寺村^

おうぜんじ — (行)柿生村 — (現)川崎市麻生区

「柿生岡上組合村地番反別入地図(大日本帝国市町村地図刊行会、S5)」を基に記載。
小字名 読み 備考
四ツ田
五郎谷
下耕地
光ヶ谷
入口
化粧面
吹込
大田谷
大谷
大門
島田
庄田谷
志村谷
日光
日吉谷
源内谷
源左衛門谷
瓦谷
白山
米田
般若面
荏子田
這松

江戸期の字名・小名

【新編武蔵風土記稿(文政13=1830)】
日吉谷、荒立野、入口、真福寺谷、光カヽ谷

茅ヶ崎村^

ちがさき — (行)中川村 — (現)横浜市都筑区

「都築の民俗:横浜市港北ニュータウン郷土誌(港北ニュータウン郷土誌編纂委員会、1989)」(原資料は「都筑郡中川村全図(T13)」)および「横浜市三千分一地形図画像(横浜市、昭和初期〜昭和30年代)」により記載。一部、地図・空中写真閲覧サービスを参照。
小字名 読み 備考
下耕地
中丸
中村
中耕地
境田
大原
東前
貝塚

江戸期の字名・小名

【新編武蔵風土記稿(文政13=1830)】
織部谷、穽窪谷(ラウクボ)、源左衛門里、中村里、アラ里、アヲハ

荏田村^

えだ — (行)山内村 — (現)横浜市青葉区、横浜市都筑区

旧公図(S16写)および「横浜市三千分一地形図画像(横浜市、昭和初期〜昭和30年代)」により記載。一箇所字界不明。
小字名 読み 備考
三百久保
六入
八反歩
ウタリ
中村
中瀬
京塚
原根・宮前
大六天
大谷
宿
富士塚
小黒入
折田
権現谷
池尻
池田
泉日向
深坪
牛ヶ谷
猿田
稲荷谷
華蔵堂
袖振
赤田
釈迦堂
釈迦堂谷
長谷
関耕地
高尺

西八朔村^

にしはっさく — (行)中里村 — (現)横浜市青葉区

「中里村地番反別入地図(大日本帝国市町村地図刊行会、S5)」を基に記載。「北八朔分」表記の元飛地を多く含む。
小字名 読み 備考
上ノ原
向原
大原
大塚
宮前
江古田
藤林
長谷

江戸期の字名・小名

【新編武蔵風土記稿(文政13=1830)】
腰マキ、隼人谷、平林、仙学坊、水蔵谷、坊下、エコ田、四段畑、セン治谷、イナコ原

鉄村^

くろがね — (行)中里村 — (現)横浜市青葉区

「中里村地番反別入地図(大日本帝国市町村地図刊行会、S5)」を基に記載。他村の飛地(所属不明)あり。
小字名 読み 備考
三ツ郷
かいと
上ノ谷
上耕地
下ノ谷
下耕地
与次谷
中ノ谷
中東
中耕地
中西
中郷
久保田
乾領園
仙ヶ町
伊勢園
児松下
北ヶ崎
台田
吉美谷
堀切
堀切谷
大久保
奥谷
子生谷戸
子金岡
宮ノ東
宮ノ窪
富士塚台
富士見岡
山田
島根
川久保
広町
松ヶ岡
榎戸
歌川
滝尾
生水谷
矢崎原
神明谷
稲荷谷
老松嶺
芝崎
芝間
荒戸
金水谷
関ノ谷
風向
黒須田向

江戸期の字名・小名

【新編武蔵風土記稿(文政13=1830)】
※「上鉄村」
瀧尾、広町、荒戸前、セウジンバ
※「中鉄村」
島根、川窪
※「下鉄村」
坊ノ前、風向

長津田村^

ながつた — (行)田奈村 — (現)横浜市緑区

「田奈村地番反別地目入図(大日本帝国市町村地図刊行会、S5)」を基に記載。
小字名 読み 備考
中村
住撰
宮之前
御前田
新林
杉山原
柳下町
柳町
深田
瀧澤
玄海田
草木
薊沢
西ノ原
道正
長月
馬之背

江戸期の字名・小名

【新編武蔵風土記稿(文政13=1830)】
中村、岡部谷、台、御前田、宿、東光寺
【皇国地誌 字地書上(「都筑の皇国地誌草稿と字地書上」所収)】
〔薊沢〕薊沢、阿曽山、水久保、松山、鐘突堂、早川道
〔柳町〕柳町、不動院前、大橋、原町川、洞瀬、片町、柳久保、根の下
〔新林〕新林、大下、宮の下、川袋、市場原、餅塚、高山
〔御前田〕御前田、清水入、八瀬ヶ橋、小反、天神山
〔住撰〕住撰、竹の内、池の谷、苧畑、岩川
〔玄海田〕玄海田、鷹見塚、御岳、鍛治谷、耕雲
〔宮の前〕宮の前、くの木山
〔長月〕長月、岡部谷、山王塚、尼谷、井戸山
〔草木〕草木、女男坂、深田
〔道正〕道正、種入、南谷、通り谷、脇の谷
〔滝沢〕滝沢、つぶ池、土ヶ橋、高尾原、辻の原
〔西の原〕西の原、滝沢、下高尾原、辻の原
〔馬の背〕馬の背、砥岩、囲碁田、隠田
〔中村〕中村、甚左衛門谷、山下根田、高橋前、大袋
〔深田〕深田、行人塚、小川界、大久保、町谷田
〔柳下〕柳下、東向地、宝蔵坊谷、八百目
〔杉山原〕杉山原、杉山下、鐘鋳場、東向地

青砥村^

あおと — (行)中里村 — (現)横浜市青葉区

「中里村地番反別入地図(大日本帝国市町村地図刊行会、S5)」を基に記載。
小字名 読み 備考
山下
御嶽堂
柳町

江戸期の字名・小名

【新編武蔵風土記稿(文政13=1830)】
柳町、河内前、梅田、紺屋町、山城分、島之山、琵琶橋、落合、雑色

高田村^

たかた — (行)新田村 — (現)横浜市港北区

「神奈川県都筑郡新田村地番反別地目入図(日本全国市町村地番入地図刊行会、S4)」および「横浜市三千分一地形図画像(横浜市、昭和初期〜昭和30年代)」により記載。
小字名 読み 備考
上耕地
下耕地
南原
東原
西原

鴨居村^

かもい — (行)新治村 — (現)横浜市緑区

「都筑郡新治村全略図(「都筑の皇国地誌草稿と字地書上(緑区郷土史研究会、1982)」所収、原資料は「新治村 地番反別地目入図(S5)」)」、「登記所備付地図データ(横浜地方法務局緑出張所、2022)」および「横浜市三千分一地形図画像(横浜市、昭和初期〜昭和30年代)」により記載。
小字名 読み 備考
中里
南通
東河内
東通
烏森
西台
西河内
西谷戸

鴨志田村^

かもしだ — (行)中里村 — (現)横浜市青葉区

「中里村地番反別入地図(大日本帝国市町村地図刊行会、S5)」を基に記載。
小字名 読み 備考
上耕地
上谷戸
下耕地
下谷戸
中谷戸
念仏堂
明下入
町山
薬師堂
金久保

江戸期の字名・小名

【新編武蔵風土記稿(文政13=1830)】
念仏堂、金久保、松山谷、本郷、台

黒川村^

くろかわ — (行)柿生村 — (現)川崎市麻生区

「柿生岡上組合村地番反別入地図(大日本帝国市町村地図刊行会、S5)」を基に記載。
小字名 読み 備考
宮添
広町
明坪
柳町
海道
西谷
谷ツ

江戸期の字名・小名

【新編武蔵風土記稿(文政13=1830)】
柳ノ町、ロウバ、七ッ谷、スクモ塚、堀切、新井、今僧坊
【神奈川県都筑郡黒川村地誌(M21=1888、「柿生の皇国地誌と地誌」所収)】
〔宮添〕宮の前、宮の西、掘切、太田屋敷、栗木道、才の神、宮の向、宮ノ下、灯篭場、腰巻、寺の前
〔東〕神明下、新井、平尾道、前田、向田
〔谷ツ〕小田、牢場
〔柳之町〕柳町、池谷
〔海道〕海道、鷹ノ巣、すくも塚、折敷沢
〔西谷〕橋田、橋場
〔広町〕広町、田地山、小河原
〔明坪〕明坪、石神、七谷

黒須田村^

くろすだ — (行)中里村 — (現)横浜市青葉区

「中里村地番反別入地図(大日本帝国市町村地図刊行会、S5)」を基に記載。
小字名 読み 備考
八反目
前田
坂下
手作
狩又谷

江戸期の字名・小名

【新編武蔵風土記稿(文政13=1830)】
八段耕地